ひきこもり体験談.2

自己紹介を兼ねての体験談

自己紹介を兼ねての体験談

「相談ブログ」にサポーターとして参加している 天野雄二です。現在44歳です。
「NPO法人みよしサポート協会ぴあぞら」にて、理事長とピアサポーターとして活動しています。

1.ひきこもった経緯

ひきこもった直後の家族構成は6人暮らしでしたが、現在の家族構成は、祖父・父が他界し、姉妹が結婚して、母との2人暮らしです。

中学2年からいじめにあい、高校に進学しましたが、そこでもいじめられ、高校2年で不登校になりました。

不登校中には、中学からのいじめっ子と、高校に入ってからのいじめっ子が、自宅に押し寄せて来て、暫く、私の家は溜まり場になっていました。

そして自宅でもいじめられていました。(親や先生は、いじめっ子と仲が良いと思っていた。)

その後、通信制の高校に進学しましたが、いじめっ子との関係が切れず、そこも行かなくなります。

通信制の高校に通っている時、アルバイトを始めますが、アルバイト先にもいじめっ子がやって来ます。

(いじめっ子が通う高校の通学路にアルバイト先があった)堪り兼ねて、ついに親にいじめられていることを相談し、縁を切るために、約1年間ひきこもったのでした。

その後、旧大検(現高卒認定試験)をとるための予備校に通うことになり、地元を離れ1人暮らしを始めました。
しかし、そこでも、人の裏切りに合います。また、年下に殴られて、お金を取られたり
するのでした。

大検は受けましたが、全科目は合格しなかったので、翌年の大検の受検まで1年間、予備校には通わずに、そこで1人暮らしをしていました。
勉強もせず、毎日イライラしていました。結局、大検も受けなかった。
その後、地元に帰って来て、本格的にひき
こもることになりました。

ひきこもっている時は、親に対しての家庭内暴力、物を壊す等の問題行動がありました。
その問題行動により警察との話し合いで、精神科に通院を始めます。

そこで薬をのむ様になり、少しずつ気持ちが安定してきました。
その後大検も取り、引き続き通信制の大学に入学し、順調に卒業しました。

その卒業論文が縁で、不登校・ひきこもり支援団体「NPO法人フリースクール阿波風月庵」のスタッフをすることになりました。

その経験を経て、現在は「NPO法人みよしサポート協会ぴあぞら」を立ち上げ、理事長・ピアサポーターとして活動しています。

2.ひきこもってからの私の変化

最初の1年間ひきこもった時はいじめから開放されたので天国と思っていました。
しかし、同級生が大学進学や就職していく中でだんだん焦り始めます。
孤独感も強くなっていました。
この焦りと孤独感から、大検の予備校に通い始めました。

地元に帰ってからのひきこもりは絶望の中にいてイライラしてすごく苦しかったです。
何故か自己評価が低く、自分はもう終わりだと、思っていました。

通院しながら、何とか勉強もできるようになっていき、家の手伝い(農業)もするようになりました。
たまに昔を思い出して、イライラする時もありましたが、ひきこもってますます悪くなることはなかったのです。
何とか、色んなことを乗り切れるようになっていきました。
自己評価も少しずつ高くなってきました。
すぐに良くなることはないと思いますが、状況も少しずつ、必ず良くなってきたと、思えるのです。

3.一番ひどかった時の状態と気持ち

不眠症で昼夜逆転でした。
夜中、両親を起こしてさんざん恨みを言う。
イライラがひどく家庭内暴力もありました。

両親への暴力や物に当たる時もありました。
無気力でうつ状態もあり、勿論時折の自殺願望もありました。

強迫症状も、対人恐怖もあったのです。
そのころの気持ちは、いじめた人への復讐心で一杯でした。
親や世間に対しての恨みが膨らんでいたと思います。
過去に執着し過ぎて、未来の不安に襲われていました。

何もできない焦りと絶望感だけでした。

4.良好に向かう方向とは

一番良くなったことは、親とコミュニケーションをとれる様になったことです。
それまでは解ってくれなかった恨みがあり、話にならなかったです。
色んなやり取りを経て、少しずつお互いを認めるようになっていきました。

今考えたら、よく見捨てないでいてくれたと思うのです。

次に良くなったことは、ものごとを前向きに捉えられる様になってきました。

これまでは過去のことに捉われすぎていて、今を生きていない気がしていました。
とりあえず、過ぎたことはどうにもならないと考えられる様になりました。
今やらなければならないことも、少しずつ出来る様になっていきました。

人との交流も徐々に増え、対人恐怖もなくなっていきました。

5.良くなったきっかけは

親が理解してくれるようになった。
良い医師と出会えた。
薬が自分に合った。
親戚にも理解してくれる人がいた。
猫を飼って孤独感が和らいだ。
家の手伝いをすることで昼夜逆転が直り、体力もついてきた。
姉が結婚し、甥ができて、その子がなついてくれた。
祖父が亡くなり、心配をかけたと反省した。

6.ひきこもりの意味

最初、私にとってひきこもるとは、いじめ等からの自己防衛だった。
今思えば、自分自身を真剣に見つめるのに必要な時間だったと思います。

確かに、過ぎた時間は帰ってはこないが、そのことによって、親子で理解が進んだのは確かです。

親も私も、社会が求める学歴重視等の価値観から自分独自の価値観を模索するようになってきました。
親は世間体が気にならないとまではいかないが、多様な生き方を認めだしました。

しかし、ひきこもりに意味があるとしても、失った時間はあまりにも大きい。
社会性も十分に育っているとは言えない。

ひきこもっていた時には、全く意味がないと思っていましたが、今は、意味があるのではと、思えるようになってきました。

また、未来は、今の意味とは違うものが、生まれるはずです。

7.ひきこもりの解決とは?

私は、ひきこもらなくなることが解決とは思いません。

ストレスが極限まで溜まると、精神疾患を患ったり、自殺を考えたりと不安定な方向に向かっていきます。

約100万人のひきこもり者、年間2万人を超す自殺者、今の日本社会はストレスの塊と考えていいと言えます。
その社会でひきこもることとは、ご本人が選んだ、唯一の自分ができる適応手段だったと考えられます。

ひきこもりの若者を無理にでも引きずり出す活動をしている団体をテレビで見たことがあります。
強制的にひきこもりをなくすという対応は、本人に、二重、三重のトラウマを植え付けるだけになってしまうのです。

私が、もし誰かに無理やり社会に引きずり出されることをされたら、その人を恨んでいたか、自分がつぶれていたかの、どちらかであったでしょう。

私は自分を取り戻す為には、ひきこもった時期は必要だったと思うのです。

自分を取り戻してからは、人との関係で、自分の経験を活かすことに意味があると思うようになりました。
せっかく人と違う体験をしたのですから、人とは違う、自分らしい生き方ができたら、それが解決の方向だと思うのです。

「両親との語り合い」から

私;ひきこもっていた時と、脱出後と比べて、私にどのような変化がありましたか?

母;「生活が活き活きしてきた。」
「やろうという気持ちがでてきた。」

父;「前は何も目標がなかった。やり方の良い悪いはわからないが、目標を持った。」

私;ひきこもっている間に、あなたにどの様な変化(こと)がありましたか?

母;「最初は心配して、(夜も寝られなかったし、仕事に行っても、そのことばかり考えていた)すごく苦しかった。
今は(仕事が楽しくて、みんなとも話せる様になった)安心して夜も寝られる。」

父;「最初の内は心配だった。」
「今は、息子の性格からみて、駄目だった場合の心配をしている・・・。」
「今となったら、どうなるか解らないとの気持ちもあるし、何とかなるだろうという気持ちにもなってきた。」

私;ひきこもる前よりも、私がよくなったことはありますか?

母;「今も、時々イライラする時もあるが、後で「母さん、ごめんよ」と言ってくれることが、嬉しい。
「母も希望が持てる様になってきた。どうにかなる、先のことはあまり心配しなくなった。」

父;「特にひどかった時、世間では親が子を殺す等の色んな事件があった。
そういう問題が起こるかもしれない不安があった。今は、安心してみている様になった。」

私;安心出来る様になった、きっかけは?

母;「家族間に問題があっても、「親が子に対する気持ち」が息子がわかったと思う。」

父;「時期はわからないが、息子が(上記の世間の事件)を批判するようになってきた。」

私;子どもがひきこもることで、考えが変わりましたか?

母;「他の子の場合は、ひきこもっても大検でも受けたらいいと思っていたが、我が家がそうなった時、我が子だけには学校に行ってほしかった。」(本音ですかね)

父;「自分らの問題とは思っていなかった。
世の中の若い人の考えを知らなくてはと、新聞等をみるようになった。」
「やっぱり生き方はひとつじゃない。ひきこもりがあるのは当たり前と思えた。それをどうするかを自分で考えられる様になった。」

私;ひきこもりの解決とは?

母;「行動すること、心を開くというのが必要。自分の経験を大切にして、今も悩む人を助けてあげてほしいです。

父;「世間の者と多少話ができる様になる。
人と接することができる様になる。
ある程度の時間は必要だが、目標をもってやりだしたら、それは解決だと思う。」